見知らぬ町へ
3月生まれだから高校卒業しても18歳になったばかり
大学行くなんてそんな勉強嫌いには選択肢は無く
当時あった今村昌平監督が学長していた「日本映画学校」の学校見学を夏休みに行ったりして
家族は冗談と思っていたみたいだけど、「行きたい」って言ったら程なく反対されて
じゃあ別に何も無いから、簿記の専門学校でも行かせてと
今考えると物凄く短絡的な身の振り方だったなあ、と
当時の考えなんてホント覚えてないけれど、そんなこんなで横浜へ2年間住むことに
専門学校なんて関西圏へ行く人が多いけれど、まさか自分が関東へとは
当時単身赴任していた父と共に横浜へ行く日
旅立ちのテーマとして、当時まだ音源たくさん持っていなかったけれどバラード集を作り
送りの車の中でひとりごち
新幹線は自由席 一つだけ空いていた席を父と交代で座り 車内販売のジュースを買ってもらう
9時過ぎぐらいだったかなあ?横浜駅に着いた時 よく覚えているけれど、凄く大雨で
タクシーで当時父が住んでいたアパートへ
大雨だったので、どこをどう通って着いたのか当時はよく分からなかったけれど
今まで生活していた空気と違う部屋に転がり込み、2LDKの父との2年間が始まった
翌日は快晴 父は五反田の仕事場なので早々に出勤 学校が始まるのは1週間後ぐらい
当時父はあまり自炊をしていなかったみたいで、目玉焼きを作ったら油が劣化していた
初めてみる「クイズハンター」当時は地元では民放放送が2つしか見られなかったので
テレビのチャンネルが多い 都会だなあ、と
とりあえず「都会という名のジャングルへようこそ」と ガンズ&ローゼスの
「welcome to the jungle」を初横浜音源としてかける
学校までの通学路を確認に歩く 生活用品を揃えるべくダイエーに行く
駅前を散策してみる 話せる知り合いが居ない 電車の中の会話が標準語
お金が無い 友達が居ない 道が分からない
今そんなことできるかなあ? 当時の進路の決め方もずいぶんお粗末だったかもしれないけれど
やっつけで関東へ行った当時の不安と身の振り方は 今もちょっと生き方に根付いていて
少しまた 自分の生活をどこかに放り込みたくて いまだにうずうず