身体

こじらせすぎて360度回転している 


私だ


ここ2〜3年ジムに どハマリして 「筋肉をくれ〜」(CVバタリアン

そろそろこういう台詞もネタどまりにしとかないと

とは思うけれど ああわかる、筋トレ馬鹿一代の気持ちがよくわかる



筋トレし出した理由はすこぶるネガティブだったんだが


日々発見だったので、楽しかったのが続いている理由だろうと




本当は身体が変わったからといって、心が求める身体とは違うのが


分かっているから、おっさんもいちいちそんな苦しいトレーニングとか


心に背いたダイエットなんて苦痛したくなかった



すごく突飛な例えかもしれないが、いくら心が求め、憧れても


人間は空を飛べないし
生い立ちは変えられないし
ルックスは俳優のような代物ではない


身体は命そのものだし、「生きてるって素晴らしい!」は


逆に言えば「この身体で生きてきゃならない・・・」ということすら


身体を憎むならば自殺なんだろうね


だがほとんどの人は心の「自我」のベクトルを肉親とかに向ける年頃を経て

存在理由なるもんに昇華せんと生きてけんのだけど


あいにく「愛なし・肉親クズ・甘えられん」なんで


さあ大変 中年重ねるごとに 心の美少年と身体の中年が


イスラエルVSパレスチナ」 年々壁がマシマシに



そこで絶望のジム通いのきっかけがあって


すぐ良かったわけじゃないし、 本当に望んでいたこの身体じゃないけれど


一つ凄く価値観に影響があったのが、身体が変わることはそんなに大したことじゃなかった

それで心が激変するわけじゃなかった ってこと


確かに身体は変わった、けどそれが「な〜んだ」って感想


見方を変えれば 心が望んだ身体なんて


羽が生えて空を飛べようが 「な〜んだ・・」って思えるんだろうなあ、って

分かったこと



違う話もあるんだけど、それはまた別の機会に



身体は所詮乗り物 スペック気にせず 

チートでもカスタマイズすりゃあ なんとか乗りこなせないもんじゃない


ぞと