依存症

ネガティブ、と思われる単語ですが

先日やっとこさ発売の↓吾妻ひでお氏の

失踪日記2 アル中病棟

失踪日記2 アル中病棟

前回の「失踪日記」から8年、ついに発売

んで読んでいたけれど、作品は前作以上に緻密で面白い


違う点で今回気になった点が、前作よりも吾妻さんの自己分析的視点が加わって

これが今作のミソかなと、とても良かった


アルコール中毒に関する専門用語、説明など自身の体験を織り交ぜ

ギャク漫画で語られる これはスゴイ 凄くわかりやすく、おもしろい

で、その中で凄く印象的なセリフ


ネタばれ的なので注意



アル中病棟退院間近で

「酒無しで、この辛い現実に どうやって耐えていくんだ?」


お酒飲む人、飲めない人、飲まない人

誰もが「ギクリ」とする?んじゃないかなあ?しない? そう


アルコール中毒は「精神病」とカテゴライズされるそうです


アルコールによる様々な作用に結果的に「依存」してしまう(詳しくは本書をば)

心の病なのだそうで



例えばアルコールが飲めない人でも、「多幸感」や「躁状態」を求め

ギャンブル・過食・買い物etc

もしも気持ち、心が「不足」しているなら、誰しも補う、補いたいという衝動



もしもそれらに中毒となるとする、それが「依存症」なのかもしれない

専門知識無しにこういう事を書くと色々ツッコミを受けそうだけれど


はしょり過ぎなので、誤解を生む事があればお許しください


ところで、おっさんは生来誰かのお世話になるのが好きじゃない


当然、自分の気持ちを保つのは 自分自身の気持ちでしか、まかなえない



成る程、どうりで趣味にしろ、行動にしろ、なにかしらインプットが無いと

絶えられない



いつも足りないのです



今もお酒とは切れない関係なのですが、飲酒によるインプット以外の

その他のインプットも断ち切れないので、飲酒と距離を保っているけれど


年齢を重ねると、インプットの機会や能力も失われることが多くなるなら

アルコールに依存する人が中高年に多いのは、なるほど、分かる分かる



今のおっさんのアルコールとの付き合いは只単に、他の依存へ切り替えて補完している

そんな事だから、他の依存が不足するなら すぐ元の木阿弥だろう



ほいで、「依存症」がいけないか という話だけど


人は皆、誰かに何かに依存していると思う


問題は自己解決せずに、他人や衝動に求め、中毒と化すことかと


自己解決できれば依存しません、はい私自身よく分かってます


そこで問題となるのは性格

中毒になりやすい人の特徴は分類されているそうで

生い立ちとかも非常に大きい



「○○なことは性格に合わない」
「わたしはこういう性格です」


と人生のベクトルを何かに「依存」するべくする性癖を分散すること


別視点へともっていく作業 これが必要かなと


作中でもAA=アルカホリック・アノニマスアルコール中毒患者同士の自助組織?的なもの)について


キリスト教くせー」と語られていたのも 宗教の一側面かもしれない


自己啓発組織とかが絡んだら、もっとカオスにwww



今書いてて凄くしんどくなった、こういう話はキツイ


ちょっとこのまま書き続けたらヤバイ感じなので、早々に締めますが


語弊なくとって貰えれば幸い「身近な人と共存共栄」すること


出来てる人は当たり前のようで、出来ない人にとっては得難いものなのです


逆に「身近な人と共存共栄」が出来ない、無かったが故に


何かに中毒となるのかも



簡単なようで、難しいようで、人によっては当たり前かもしれないけれど


人によっては、共存共栄なんてあり得なかったり


本書が吾妻さんにとっての代替行為だったのかもしれない


人なり行動なり、依存のベクトルを健全な方向へ向けること


本書を読んで自分なりに考えさせられました