リッケンバッカーと「京都ろまん堂」

この話はいつか書きたいと思っていて
昨日から色々考えることがあり
思い切って書きます

今日は少々しんみりするかもしれないので
ご了解を



おっさんには20歳の頃仕事場で出会った先輩がいまして
何故か「京都ろまん堂」という二つ名を持つ方でした
風貌は長身・長髪・夜でもサングラス・車はワーゲンに乗り
音楽はフォークとビートルズ、お酒・サッカー・詩人 中原中也
ジョン・レノンをこよなく愛する永遠の独身貴族 当時41歳


音楽が好きでちょっと浮世離れした性格のおっさんは
すぐに意気投合


お酒を屠ってもらったり、共にコンサートに行くなど
20歳以上離れていてもとても気さくにおっさんの事を
「ロックンロールぼうや」と呼んでもらい
よき先輩であり、アニキであり、最年長の友達でありました



お互いビートルズ好きであった事以外はあまり
かぶるジャンルの音楽はありませんでしたが
氏はおっさんの好みのジャンルにも興味を持っていただいて
共に既出のバンド「サンダー」のライブに付き合ってもらったり
色々な昔のフォークソングに詳しい氏は
様々な良い音楽を教えてくれました


今から7〜8年前「ジョンレノン追悼集会」と題して
小料理屋の個室を借りてお酒を飲みながら
ジョンレノン等のお話をしたりギターを
弾いたりする催しを企画していただいた際
氏はその年購入された「ジョンレノンモデル
リッケンバッカー325v」という非常に高価なギターを
持参され、丁度その時お酒を飲まなかったおっさんは
ほろ酔いの氏から「今日は持って帰れないから
預かっておいて」とそのギターをお預かりしました



なんだかんだ、何回か返そうとする機会がありましたが
それから何年もそのギターはおっさんの手元のありました


そのうちおっさんの転職や諸々あっても
氏との交流は続き何度もコンサートに出かけたり
お酒を酌み交わしながら 好きな音楽について
語り合ったりしていました


去年、氏も早くに仕事を辞め おっさんは仕事で
時間が無い事が多くなりましたが時々電話を頂いては
「やあ、ジョージハリスンです(笑)」
とお酒のお誘いをしていただきました


去年の10月か11月頃お誘い頂いた時
お酒を飲みながら例のギターの話になり ふと何気に
「預かりっぱなしで、いいんですか?も〜
 ○○さん〜、死んだら片身にもらいますよ わはは」


なんて話をしながらべろんべろんに酔ってました


ふと思うところあり今年は氏に年賀状を出しましたが
気がつけば返信もなく、今年はおっさんも激烈に忙しい事もあり
まったく連絡していない状態が続いていた中


「ちょっと時間に余裕ある時期になったら一緒に京都でもいって
おいしいものでも食べよう」と一人考えていました





そんな今年3月末、以前の会社の仲の良い先輩からのメールで
氏が亡くなった事を知りました 享年54歳 早すぎる死です


一人病気であることを打ち明けずにこの世を去り
おっさんの部屋には氏のジョンレノンのギター
リッケンバッカー」が残されました


氏のお母様には事情を説明し、一旦ご仏前にギターをお返ししましたが
その後 形見分けの際 私が引き取ることになりました


時々ケースから出しアンプにつなぐと
特殊なサイズのギターであることでもあり
弾くのに非常にてこずる面があるのですが
氏のように非常にやわらかい 優しいコードが鳴ります



今だに70年代フォークの世界から飛び出てきた様な
ルックスと人柄 浮世離れした趣味嗜好のため
色々風当たりの厳しい面もありましたが
長年お付き合いしていて 誰にでも優しく
決して自分の苦労や愚痴をこぼさない紳士で 
20歳以上離れたおっさんにも
たくさんの敬意と尊重をはらって頂く
そんな人でした



何度も思っているのですがこの場を借りて
「ありがとうございました」
一生忘れません、っていうか
忘れられませんよ「ろまん堂」さん(笑)
貴方の様なおもしろいマニアックな人いませんもん〜

と、いつもお酒を飲んでは氏に毒を吐いていた感じで



私的な内容でしたが色々考えてどうしても
書きたかったことです 
私はこういう人に育てて頂きました


最近またビートルズをよく聞きますが
音楽性以外にも胸がつまります

今日はこんな思い出
ではみなさんGOOD NIGHT